人生・哲学

私が経験から得たおいしい食と健康と開運になる情報を紹介してます。また福岡市内で料理教室 「健康ごはん。」をしています。092-707-0173 info@ansin-shokuiti.net  叡知の館(えいちのやかた) リンクフリー

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好酔(こうすい)とは、好きなものに酔うと書きます。

フリー写真 夜の観覧車

これは、支配者が、人が真実の価値や物事に目覚めないように、人々に与えているものです。昔、GHQが3S政策といって、セックス、スポーツ、スクリーンを奨励しました。スポーツも別に、これをやって元気になりなさいではなく、試合を見て熱狂的に盛り上がって大切なことから目をそらすためです。スクリーンは、映画やテレビなどを指します。こうすることによって、日本人が二度とアメリカに歯向かわないようにまた、日本人が、愚かになって堕落していくように仕向けました。
これを知った時、私は腹立たしい気持ちになりました。こんな政策に踊らされてたまるか!と子供心に思いました。

ヒルの時代を生きる人たちは、夜の時代の価値観で良いとされているものや人気のあるものに、無関心の人が多いです。
私は縁あって、アイドルグループ嵐のコンサートに行きました。といっても好酔で、そのグループに酔っているのではなく、どういう舞台演出なんだろう、どんな感じなんだろうという好奇心です。こうやってそういうことが、分かってコンサートなどに行く分には、大丈夫なのです。

誤解しないでもらいたいのですが、これは、嵐というアイドルやアイドルグループそのものを否定しているのではないのです。ただ、熱狂的ファンで、その人(そのグループ)のことだけで、何も自分がない状態が恐ろしいのです。なぜ危ないかというと、自分自身に関心がなく、他人軸で生きることになるか、なっているからです。そういう人が、これらからヒルの時代が変わるにつれてどうなるかは、脅すような感じになるので書きません。でも、もし、幸せに生きようと思うなら、自分軸で生きることの大切は、知っておいた方がいいです。

まあ、好酔と好奇心は、際どい関係です。
好奇心から何かに関心を持つまではいいのですが、そこに自分を失くすほど溺れていくと、人生が没落してしまいます。
好奇心のあることは、その人自身の隠れた能力だったり、才能を示す場合もあるので、自分がやっていることが、自分軸であるか、他人軸であるかを見極めながら、人生を楽しんでいきます。

サムハラ文字

写真)サムハラの神代文字

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フリー写真(犬と小鳥)

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黒いパンプスを修理に出したヒュギエイアです。

20151030黄色い花の2

これは大阪の親戚のお葬式にも履いていったのですが、ヒールの内側の皮がめくれていました。足のアーチを上げる靴であり、これは買ったところでないと修理は難しいのです。値段は高いのですが、一生ものの靴だからということで、何度か修理に出しています。
お店は西新にあり、そこに行くのが面倒でした。西新は、そこに住んでいたら私の衣食住の生活はそこで完了してしまいそうな便利な感じですが、あえてわざわざ行くかと言ったら、天神か博多駅になるのです。まあ、総合図書館に行く途中などで、たまに通るくらいです。でも、たまたまというか、ある意味タイミング良く、その靴のお店からキャンペーンハガキが届いており、靴を修理に出した方がいいなと思っていた時にシンクロしたので、持って行きました。そして、靴は修理ができたら自宅に直接郵送してもらうように手配しました。

また、ついでにそこで足のマッサージを受けました。施術中で、足や方のところのリンパに老廃物が溜まっていると言われました。でも、足裏をマッサージされていて、「便秘ではないですね。ふつう便秘の人は、ここに老廃物が溜まっているのに、さらっと流れる」と言われて、やった~と心の中でガッツポーズです。しかし、他のところには疲れがたまっているのがわかると言われました。終わった時には、久しぶりに、湯あたりにも似た、マッサージ疲れを覚えました。それで、その日は何かを食べる気にならず、ほどんと休みました。それが良かったのか、さらにデトックスして、2㎏スリムになったのです。実は、ここのところ、太ってきていました。こうやって、デトックスすると、大丈夫になります。

そして、ネットショップ関係の支払いも請求書が届いたので、すぐに済ませました。こういうことも、循環の一環として、流れを良くするために、支払うべきものをさっと支払うことは、とても重要なのです。
小さな面倒なことを済ませると、気分がすっきりします。一つ一つ完了させることが、運気アップにつながります。

まだ、ヒルの時代の最後の課題をすることや、出納簿まとめ、などがあります。それらを一つ一つ丁寧に完了させていき、運気をさらに上げていきます。


サムハラ文字

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今日から11月です。

フリー写真 紅葉5

午前中もタウンページの女性記者が来て、インタビューを受けました。
その前に別のフリーペーパーからも「掲載インタビューをお願いします」という電話があり、思わず「今日は、別のところのインタビューを受けるのですが、続くけれど何かあるのでしょうか」と尋ねました。
まあ、これは偶然が重なっただけでしょうが、インタビューを受けて、改めて、起業していてよかったなと思います。

別に成功しているとか、儲かっているわけでもないのですが、絶対、死ぬ時に、起業したことは後悔しないぞ、起業して良かったとは思うなと思えるのです。起業していなかったら、どうして、やらなかったのだろうと思うだろうなと思います。

これは、自分のことなので、そこのところには自信があります。そりゃあ、成功して儲かっているというのは理想です。理想から遠くても、最初の一歩を踏み出したことは事実です。それに最初の一歩は、本当にものすごくエネルギーがいるのです。怖いのです。そして、そういう人は多いでしょう。だけど、そこで止まっていたらもったいないなと思います。そこだけは、はっきり言えます。

まあ、恵まれた日本において、普通に生きているというだけでも、恩恵はあるのですが、面白く生きたかというところから見ると、「勇気をもってやりたいことに一歩踏み出したことが、(絶対人生において)やってて良かったな」と、死ぬ時に、(私は)思うなと、思います。
そういうこととを改めてインタビューを受けて感じたのです。

やりたいことがあるなら、やってみなはれ(なぜか大阪弁)
と思います。

どうせ人間いつかは死ぬのです。その時に、人生に後悔しないことが一番かなと思います。

もう一社のところは、インタビューに来る日時を、再度電話しますということでしたが、結局かかってきません。お昼の12時過ぎにお願いしますと言ったのですが、でも、まあ、これもタイミングが合えばあるでしょう。残り2か月悔いのないように生きていきます。

さあ、明日もいい一日になるようにします。


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大阪の叔父が10月23日(月)に亡くなりました。90歳でした。
朝、9時過ぎにおばさんから電話がありました。血がつながっているのは叔父の方ですが、仕事というか人間関係の相談をこのおばさんの方にしていました。

お葬式には、朝早くから日帰りでいいからぜひ来てほしいと言われました。私も以前から、叔父に何かあった時には、駆けつけることを決めていたので、すぐにできるだけの準備をしました。それから、銀行に行き定期を解約して、天神の旅行会社に走りました。そして、今日から大阪3連泊できるところを探してもらいました。途中、おばさんに電話をして、葬儀場がどこか尋ねました。
おばさんは、びっくりして「私は、圧迫骨折しているので、ヒュギエイアちゃんのお世話はできないので、気持ちだけでいいから」というのです。でも「私もいい大人だから、お世話してもらわなくても大丈夫ですから」といい、お嫁さんに電話を変わってもらい、葬儀場の名前と場所を教えてもらいました。

できれば、葬儀場のすぐ近くがいいのですが、ビジネスパックの場合は、それにくっついているホテル宿泊が基本です。また連泊を望んでいたので、ホテルは大阪市内の本町にあるビジネスホテルになりました。新幹線を夕方16時33分に取りました。「もう解約できないけれど大丈夫ですいか?」としっかりした若い女性スタッフの念押しにも、「大丈夫です」と言ってお金を払いました。

そして家に戻ってから、3連泊の準備です。喪服、くつ、数珠、香典袋、バックなどの葬儀に出るためのものから、お泊りするための下着や化粧道具、ipadや携帯、何かあった時のための通帳など、けっこうな量を旅行カバンに入れました。博多駅まではバスで行きましたが、ゆとりをもって出たつもりだったのに、新幹線乗り場についた時には、5分前くらいでした。そして、2時間半くらいで新大阪に着きました。

そこから本町のビジネスホテルまで行くのが大変でした。新大阪の駅が広く、本当なら御堂筋線で1本で行けるはずが、なぜかJR線に乗り、JR大阪で降りました。地下鉄があるはずなので歩いたのですが、そこの距離の長いこと。そして繋がっている、地下鉄西梅田駅まで、階段を降りたり登ったりして歩いてから地下鉄に乗り、2つ目の本町で降りました。そこからまた長く歩き、28番出口で歩いてホテルまで5分ということでしたが、知らない土地だと、ホテルまでもとても長く感じました。何とかホテルにたどり着いたのですが、とにかく疲れたし、こんなに迷うようでは、当日行くなど、とんでもなく、前泊して良かったです。

そして、翌日10月24日がお通夜でした。お通夜は、夕方6時から枚方市にある斎条に行われました。また、そこまで行くことが、一苦労でした。長男のお嫁さんからは、そこは泊まることもできるので、良かったらどうそと言われたのですが、連泊しているので帰るつもりでした。またその日の午前中からお昼にかけて、うで時計の電池交換に心斎橋のデパートまで行きました。普段使っているものは、お葬式にふさわしくないのです。それで、昔もらったうで時計の電池交換をしようとしたのです。そこに行く時には、御堂筋線で乗って行ったのです。それで、御堂筋線の本町駅を知ることができました。ここはホテルから徒歩10分で、これまた長く感じました。また土地勘がないので、駅の中でも迷いそうになりました。

なんであれ、午前中の用事をすませて、遅めのお昼を、ホテルの前の定食屋さんでとりました。それから香典袋に名前を書いたりと、準備を進めていきました。長男のお嫁さんとまた、携帯で話をして、斎条には夕方4時から5時くらいに行くことにしました。喪服を着て、その上に薄手のコートドレスを着てから、御堂筋線の本町駅まで歩きます。バックとは別に、黒い湯のバックにお財布やら地図やお化粧道具のipadなどがあります。お泊りの用意はしてなくても結構重くなりました。そして、御堂筋線本町から次の淀屋橋で降りて、今度は京阪本線に乗り換えます。そこの場所までがまた遠く感じます。そして、何とか枚方市駅に行く、特急に乗ることができました。特急だと21分でした。そして枚方市駅で降りて、今度は京阪バスに乗り、田の口まで行きます。4番乗り場からどれでも行くと言われましたが、大阪のバスの乗り方が今いちわかりませんでした。でもニモカカードが使えるということで、ほっとしました。そして、ようやく田の口で降りてから、徒歩10分ほどで斎条です。ここも地図を前もってファックスしてもらっていたのですが、それが分かりにくいのです。電話して、斎条の人に道を教えてもらいながら、何とかたどり着きました。

荷物をロッカーにいれて2階へ行くと、おばさんと息子一家がいました。いとこの長男夫婦といとこの次男のお嫁さんもいます。次男さんは、仕事でお通夜とお葬式は出られないのです。涙ながらに私が来たことを喜んでくれたおばさんです。私が、香典を渡そうとしたら、「要らない。来てくれただけで嬉しいし、密葬で本当に内輪でするので」と言います。どうしようかと迷う私に、次男のお嫁さんが、「私も実家の両親の分を預かってきたのですが、要らないと言われました。今はそうなっているところも多いようですよ」と言われ、そうなのかと思いました。それで香典を出すことなく、叔父さんの亡骸を見たり、個人の趣味を飾っているところを見たりしました。

祭壇が、何というかセンスがとても良く、白い花が、主ですがところどころ、紫色の花が見える程度です。色遣いはシンプルだけど、趣があります。叔父さんは長年、開業医をしていたので、そこで一緒に何十年と看護婦として働いてた人もいました。その看護婦さんの息子が赤ちゃんから幼児の時に、保母さん代わりにおばさんがずっと面倒を見ていたのですが、その若い男性も来ました。最初、その男性が誰かわからなかったおばさんも、誰だかわかり、
「ひろ君、嬉しい~」と、その男性を抱きかかえて泣いているおばさんに、私も周囲ももらい泣きをしました。
その若い男性は、叔父さんの遺影をずっと見つめて、ぽろぽろ涙をこぼしていました。

そして本当に身内だけの密葬が始まりました。
御院家のお経の声がよく、また戒名の由来の説明に、みな、うなずいておじの生前をしのびます。これはおばさんの希望で、戒名のいわれを子どもや孫たちに知っていてもらいたいということであったのでした。しめやかにお通夜が終わりました。そして、控室での会食です。
タタミの部屋ですが、出されてきた料理が美味しいのです。こういう場の食事には、何の期待もしていなかったので、びっくりでした。そして、内々だけの話で故人をしのびました。以前働いていた看護婦さんたちが帰り、本当に身内だけになりました。おばさん、長男、長男嫁、娘(長女)、娘(次女) 長男(3番ん目) 次男嫁、娘(長女)、娘(長女)です。夜9時過ぎて、次男さんがようやく来れました。少し食べて話をして、家族で帰っていきました。明日のお葬式にも出られないのです。

従弟の子供たちとは、もっと昔、法事で会っていたのですが、今はみな18から20代半ばになっており、誰が誰だかわからないくらい大人になっているのでした。でも血のつながりというのは不思議で、ものすごくリラックスしていたのです。叔父のことや、私の父のことなど、いろいろと語りました。おばさんが「ぜひ泊まって行って」というので、最初は次男嫁さんにホテルまで送ってもらうことにしていたのですが、それを取り止めて、急きょ、斎条に泊まることにしました。「ヒュギちゃんが泊まって行ってくれて嬉しい。おじちゃんも喜んでいるよ」といいます。私もそう言われてうれしかったです。

お泊りセットを持ってくればよかったのですが、シャワーを浴びて寝ました。おばさんは、寒かったので、お風呂に入ったのですが、その前に飲んでいる睡眠導入剤のせいか、「湯船の中で眠ってしまいそうになって、このままお父さんのところに行くところだった」、といいました。皆が「危ない、危ない」と言い心配しましたが、入浴で体調が良くなったことは喜ばしいことでした。
翌日10月25日は、長男のお嫁さんから化粧品をかりました。そして、朝ごはんは、次男のお嫁さんと娘二人が着てか、斎条の朝食です。和食ですが、そこで作っているとかで、下手な旅館よりも美味しい和食で、これもびっくりです。

そのあと、10月25日午前11時からお葬式になりました。
昨日のお坊さんが今日も来てお経を上げます。私が留めのお焼香をしました。そして、祭壇の花を、斎条スタッフが全部切っていき、参列者に渡していきます。みなでお棺の中にそれらの花々を詰めていきました。趣味を写した写真も一緒です。
「おとうさん、ありがとう。幸せだったよ。また一緒になろうね。近いうちに私も逝くからね」と
叔父さんの頬をなでながら言うおばさんの「ありがとう」の涙声に、皆もらい泣きです。

出棺式をして、みなでワゴン車に乗り込み火葬場に向かいます。御院家も、別の車で火葬場に向かいました。
火葬場で、お棺を前に短いお経を上げて、いよいよ、お棺はレールで火葬に動かされます。私たちはまた、斎条に戻り、今度はその間に、お昼のお斎(おとき)です。ここでは、朝食を摂ったレストランで、おじさんの遺影の前にスタッフの好意でおじさんの好物も添えられました。そこの料理も美味しく、みなで「美味しいね」といい、故人を偲び、思い出話をしながらお食事をいただきました。
それから、また火葬場に向かいます。

荼毘に付した骨が運ばれてきたのを目にしたおばさんは、涙を流し倒れそうでした。その姿に、みなももらい泣きです。
火葬場スタッフの指導の元、渡し箸(お箸で拾ったお骨を隣の人が順々にお箸で受け取って、骨壷まで運ぶ)拾骨し、骨壷に収めました。今までのどの時よりも、本当に、叔父さんが亡くなったんだなと意識する時でした。やがて2つの白い小さな骨壺に収まりました。

そしてまた斎場に戻りました。
今度は、10月25日15時から初七日が始まりました。これも一般的です。昔は、本当に亡くなってされていた事柄も、現代には合わなくなっていて、その日にするところが多いのです。また、同じ御院家が来て、故人が気に入っていた白骨の御文章をあげてくれたのでした。そして、参加者一人一人にお返しの詰め合わせを配り、すべての葬儀が終了したのです。香典をあげてないのですが、私もお返しの詰め合わせをもらいました。

おばさんは、圧迫骨折があるのですが、自分の家に戻ると言います。2日ほど、長男の孫娘2人が泊まるのです。長男のお嫁さんも次男のお嫁さんも、よくできて気が利いて、おばさんとも仲良くやっています。
次男さんのほうも医者です。開業しており、自分しかいないということで、病院スタッフにも、実父の死を伝えておらず仕事をしていました。長男さんも医師であり、勤務医ですが忙しいです。今回は、何とか喪主を務められたようです。

おじさんの息子二人が、跡を継いだことになります。
ただ、おじさんが苦労して開いた医院とは別のところで2人とも働いているし、忙しすぎてどちらも家族とあまり過ごせないけれど、とまれ、子どもたちも立派に成長し、それぞれ結婚して家庭を築き、孫もできて元気にやっているのです。おばさんとの夫婦仲も良く、誰も知らない土地で、銀行から借金をして、一から病院を経営して、スタッフを抱えていく心労はあったのですが、おばさんがよく支えてくれて、本当に幸せな一生だったと思います。

おばさんがいかによく支えてきたかということは、おじさんの知り合いにおばさんを紹介した時に、その人から
「ああ、○○先生(叔父さん)の奥さんの旦那さん(叔父さん)ですね」と、面と向かって言われて、
「何とも言えず複雑だった」と叔父さんが言ったというエピソードにも表れています。
また、開業時から叔父さんが、年になって病院をたたむまで、当初からの看護婦さんたちが何十年と誰一人辞めることなく働き続けたことから、おばさんの内助の功がわかります。それはおばさんの誇りでもあります。
病院と家庭のやりくりも、苦労があったのですが、一度もスタッフの給料を遅らせたことなく、きちんと支払い、彼女たちの退職金も積み立てて行ったのです。そうした強い結びつきが、仕事を離れて何年かたっても、叔父さんが亡くなってから、彼女たちが、葬儀に駆けつけてくれたのです。

帰りは次男のお嫁さんが、運転する車で、ホテルまで送ってもらいました。娘さんが私の泊まっているホテルの近くで暮らしているのです。運転中、いろいろなことを話せて良かったです。

また、長男のお嫁さんも次男のお嫁さんも、どちらもおばさんに対して、よくしているので、私が心配することはありません。
おばさんも「2人のいい嫁がきてくれて良かった」と言う言葉にも表れています。
残された家に一人で暮らすのは、最初は慣れないし寂しいでしょうが、元気なうちは、おばさんにとって、叔父さんと共に築いてきた自分のうちで、一人で暮らすことはいいことだと思います。

いつまでも、おばさんには元気でいて欲しいと思った、大阪3泊4日のお葬式でした。

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ネットでいろいろな記事を読んでいると、まったくそれぞれ関わりない人たちなのに、シンクロしているのか、時々記事で紹介されて出てくる人がいます。
それが、ジル・ボルト・テイラー博士です。

jill_bolte_taylor.jpg

写真)ジル・ボルト・テイラー博士

彼女を知らない人に説明すると、女性の科学者です。
インディアナ州立大学で博士号取得後、ハーバード医学校で脳と神経の研究に携わりマイセル賞を受賞。また、精神疾患 ... 著者名は正確には「ジル・ボルティ・テイラー」という発音に近いのですが、『奇跡の脳』では「ジル・ボルト・テイラー」と表記しております。

右脳というのは、すごく面白い器官であり、神玄に不思議な体験をもたらしてくれるようです。

脳科学者としてハーバード大学の第一線で活躍していた37歳の時、ジル・ボルト・テイラー博士は脳卒中に襲われ、左脳の機能を失ってしまいました。歩くことも読むことも書くこともできず、自分が歩んできた人生のことさえ記憶から失われてしまい、身体機能と思考能力が完全に回復するまで8年を要しました。

そしてTEDで、自分の体験を発表しており、私もそれは見たことがあります。誰の脳かはわからないけれど、本物の脳を持って聴衆に見せての説明するところが、非常に衝撃があります。

私が思うに、右脳には、未知の領域とつながる役目があるように思えます。そして、スピリチャル的な力がある人、また引き寄せ力の強い人も、右脳の扱い方がうまい人のように思えます。そして、幸せになっている人。いわゆる成幸者(これは一般的な成功とは違います)は、自分の右脳の取り扱いが上手で、それを実生活にうまく使っていると感じるのです。

これは私の素人の個人的な感覚ですから、脳の機能について突っ込まれても困るのですが、まあ、それほど外れてないだろうなと思っています。もちろん、生活そのものは、左脳によって確認していかないことは、いろいろと支障が出てくるでしょう。ふぁ~と幸福感をもたらしてくれる右脳だけでは、社会は成り立たないとは思います。

私は今までの人生は、どちらかといえば、やってきた仕事は左脳を主に使う仕事ばかりで、だから仕事をしていても幸福感を感じなかったのでしょうが、これに右脳をミックスされるようになると、仕事をすることが、いわゆるゾーンに入ったり、幸福感を感じるのだろうなと思います。

とまれ、ジル・テイラー博士の有名なTEDの動画といくつか添付します。

https://www.ted.com/talks/jill_bolte_taylor_s_powerful_stroke_of_insight?language=ja
      ↑
クリックするとTED画面に飛びます。

TEDから抜粋
00:12
私が脳の研究をするようになったのは 統合失調症という脳障害を持つ兄のためでした 妹として 後には科学者として 知りたかったのです 私には夢と現実を関連づけられ 夢を実現させることもできるのに なぜ統合失調症の兄の脳には 夢を みんなと同じ普通の現実に 結び付けることができず 妄想となってしまうのか?

00:45
そうして私は 重い精神疾患の研究に 身を捧げることになりました 故郷のインディアナ州からボストンへと移り住み ハーバード大学精神科の フランシーン ベネスの 研究室に入り 1つの問への答えを 追い求めました “正常と診断される人の脳と 統合失調症や―” “統合失調性感情障害―” “双極性障害と診断される人の脳には―” “生物学的にどんな違いがあるのか?”

01:17
私たちは 脳の回路のマッピングをして どの細胞と どの細胞が どんな化学物質を どれだけ使って 通信をしているのか調べました 日中はこのような研究を行い とても充実していました そして夜や週末には 精神障害者家族会であるNAMIの活動で あちこち飛び回っていました ところが 1996年12月10日の朝 目を覚ますと 私自身が脳障害を起こしていたのです 左脳の血管が破裂したのです 4時間の間に 自分の脳が情報処理能力を失っていくのを経験しました 大出血を起こしたその朝 私は 歩けず 話せず 読み書きも 自分の生活について思い出すこともできませんでした 私は要するに 大人の体をした赤ん坊になったのです

02:17
人間の脳を見たことがあれば 2つの脳半球は 完全に分離されているのをご存じでしょう 本物の人間の脳を持ってきました これが本物の人間の脳です

02:40
こちらが脳の正面で 後ろには脊髄がぶら下がっています こういう状態で 頭の中に納まっています ご覧のとおり 2つの大脳皮質は 完全に分離しています コンピューターに例えるなら 右脳は 並列プロセッサのように機能し 左脳は 単一プロセッサのように機能します 3億もの神経線維から成る 脳梁を通して 2つの脳半球は 通信し合っています しかしそれを除けば 2つの脳半球は 完全に分かれています 別々に情報を処理するため それぞれの脳半球は 考えることが違い 別なことに関心を持ち あえて言うなら それぞれ 別な人格を持っています

03:37
もういいわ ありがとう 楽しかったわ (助手: 私はやりませんよ) (笑)

03:45
右脳にとっては“現在”がすべてです “この場所 この瞬間”がすべてです 右脳は 映像で考え 自分の体の動きから 運動感覚で学びます 情報は エネルギーの形をとって すべての感覚システムから 同時に一気に流れ込み この現在の瞬間が どのように見え どのように臭い どういう味がし どんな感触がし どう聞こえるかが 巨大なコラージュになって現れるのです 右脳の意識を通して見ると 私という存在は 自分を取り巻くすべてのエネルギーとつながった存在なのです 右脳の意識を通して見た私たちという存在は 1つの家族として互いにつながっている エネルギー的存在です 今 この場所 この瞬間 私たちはこの地球上で 共に世界をより良くしようとしている兄弟姉妹です この瞬間に 私たちは完璧であり 完全あり 美しいのです

04:56
私たちの左脳はまったく異なった存在です 私たちの左脳は直線的 系統的に 考えます 左脳にとっては 過去と未来がすべてです 左脳は 現在の瞬間を表す 巨大なコラージュから 詳細を拾い出し その詳細の中から さらに 詳細についての詳細を拾い出すようにできています そして それらを分類し 全ての情報を整理し これまで覚えてきた 過去の全てと結びつけて 将来の全ての可能性へと 投影します そして左脳は 言語で考えます 継続的な脳のしゃべり声が 内面の世界と外の世界とを つないでいます その小さな声が 私に囁きます“帰る途中で―” “バナナを買うのを忘れないで” “明日の朝いるから”

05:53
計算的な知能が 洗濯をするよう 思い出させます しかし 最も重要なのは その小さな声が 私に “私がある”と言うことです そして左脳が“私がある”と言った途端 私は 切り離されるのです 私は 1人の確固たる個人となり 周りのエネルギーの流れから離れ 周りの人から分離されます そしてその部分が 脳卒中の朝に 私の失ったものでした

06:24
脳卒中の朝 私は左目の裏にひどい痛みを感じ 目を覚ましました その痛みは アイスクリームをかじった時に感じるような 鋭い痛みです それは 私を捕らえて 解放し それからまた捕らえ 解放しました 私にとっては 痛みを体験すること自体珍しいことだったので そのうち消えるだろうと思い

06:51
起き上がって 全身有酸素運動用の ローイングマシンに飛び乗りました 一生懸命こうやっていたのですが バーを握っている自分の手が まるで怪獣の鉤爪のように見えるのです “すごく変だわ”と思いました そして 自分の体を見下ろすと “うわ 私奇妙な格好してる”と思いました 私の意識は マシンの上にいるという 通常の現実認識から離れ どこか奇妙な場所から エクササイズする自分を見ているようでした

07:29
全てがとても奇妙で 頭痛がひどくなり マシンを降りて リビングルームを歩きながら 体の中のすべてが 速度を 落としたように感じました 一歩一歩がとても硬直し とても意識的なのです 歩みはぎこちなく 認識能力が制限されているようなので 自分の体の中だけに意識を集中しました 浴室に入って シャワーを 浴びようとしていると 体の中で 会話する声が 聞こえてきました 小さな声が“そこの筋肉 縮んで” “そっちは緩めて”

08:04
私はバランスを崩し 壁にもたれました そして腕を見ると もはや自分の体の境界が 分からなくなっていることに気付きました 自分がどこから始まり どこで終わるのか その境界が分かりませんでした 腕の原子分子が 壁の原子分子と混じり合って 一緒になっているのです 唯一感じ取れるのは エネルギーだけでした

08:30
そして 自分に問いかけました “私はどうしちゃったの? 何が起きているの?” その瞬間― 左脳のささやきが 完全に途絶えました まるで誰かが テレビのリモコンを取り ミュートボタンを押したかのように 全くの静寂になりました 最初 頭の中の静寂に ショックを受けていましたが それからすぐに 周囲の大きなエネルギーに魅了されました もはや 体の境界が分からない私は 自分が大きく広がるように感じました 全てのエネルギーと一体となり それは 素晴らしいものでした

09:10
突然 左脳が復帰して 言いました “おい トラブルだ!” “トラブルだ! 助けを呼ばなきゃ!” “大変 大変!”と繰り返します それで私は“そうか トラブルなのか”と

09:22
しかしすぐ さっきの意識の中へと押し戻されます 私はこの空間を 親しみを込め ラ ラ ランド(陶酔の世界)と呼んでいます そこは素晴らしい所でした 外の世界と自分をつなぐ 脳のしゃべり声から 完全に 切り離されているのです

09:40
この空間の中では 仕事に関わる ストレスが 全て消えました 体が軽くなったのを感じました 外界全ての関係と それにかかわる ストレスの元が すべてなくなったのです 平安で満ち足りた気分になりました 想像して下さい 37年間の感情の重荷から解放されるのが どんなものか! (笑) ああ! なんという幸福 幸福 とても素敵でした

10:15
それからまた左脳が戻ってきました “おい! ちゃんと注意を払え!” “助けを呼ばないと!” それで私も “集中しなくては”と思い シャワーから出て 無意識に 服を着て アパートの中を歩き回り “仕事に行かないと”と考えていました “でも運転できるかしら?”

10:32
そしてその瞬間 右腕が完全に 麻痺し 私は気付きました “信じられない! 私 脳卒中を起こしたんだわ!”

10:40
次の瞬間私が思ったのは “わあ! すごい! すごいぞ!” “自分の脳を内側から調べる―” “チャンスに恵まれる脳科学者なんて そうはいない” (笑)

10:56
それから思いました “でも私すごく忙しいんだった!” (笑) “脳卒中になってる暇なんかないわ!”と

11:03
“でも脳卒中は止められないし―” “1~2週間だけこれをやって―” “それから また通常に戻せばいいわ” “取りあえず職場に連絡しないと” でも職場の電話番号が思い出せず 名刺に電話番号が 書いてあるのを思い出し 書斎に行って 8センチほどの名刺の山を取り出しました 一番上の名刺を見て 心の中ではちゃんと 自分の名刺がどんなものか分かっているのに それが 自分の名刺なのか分からず 見えるのは画素だけでした 文字の画素が 背景の画素や 記号の画素と混じり合って 見分けられませんでした それで“物事がクリアになる波”を待ちました その波が訪れると 普段の現実に 再び結びつくことができて これは違う これは違う と振り分けられたのです 45分かかってやっと 名刺の山を 3分の1進みました その45分の間に 出血は 脳の左側で さらに広がっていました 数字も電話も 理解できなくなりましたが 私のプランはそれしかありません それで 電話機をこちらに置き 名刺をこちらに置き 名刺に書かれた くねった線の形と 電話のボタンにある くねった線の形を 照らし合わせていきました しかし またラ ラ ランドへ 押し流されてしまい 我に返ると 番号をどこまで押したか 覚えていません だから 切り株のように麻痺した腕で 名刺の電話番号を覆っていき また現実に戻ったときに “この番号は押した”と分かるようにしました

12:42
最終的に 全ての番号を押して 電話に耳を澄ますと 電話を取った同僚が言いました “ワン ワン ワン ワン” (笑) 私は思いました “ゴールデン レトリバーみたいだわ!”

13:02
それで自分としては はっきり言ったんです “ジルよ! 助けが必要なの!” でも口から出たのは“ワン ワン ワン ワン ワン”でした “やだ 私もゴールデン レトリバーみたい” 話しも 言葉の理解もできないことに 試してみるまで 気付かなかったのです 彼は 私に助けが必要だと分かり 手配してくれました

13:21
しばらくして私は ボストンのある病院から マサチューセッツ総合病院へ向かう救急車に乗っていました 私は 胎児のように丸まって ほんの少し空気の残った風船から 最後の空気が抜けていくように エネルギーが抜けて 魂が諦めるのを感じました

13:45
そしてその瞬間に 私はもはや 自分の人生の振付師ではなくなったのだと知りました 医者が 私の体を助けて もう一度チャンスを 与えてくれなかったら おそらく この世を去るところだったのでしょう

14:07
その日の午後に目覚め 自分がまだ生きていることに 驚きました 私は自分の魂が諦めるのを感じたとき 自分の人生にお別れをしていたのです 私の心は 2つの対照的な現実の間で 宙づりになっていました 感覚システムから 入って来る刺激は 痛み以外の何でもなく 光は 野火のように私の脳を焼き 音は あまりにうるさく 騒音の中から 声を聞きわけることができず ただ逃げ出したかった 自分の体の状態も 認識できませんでした 体が大きく拡大するように感じ ランプから解放されたばかりの精霊のようでした 私の魂は 大きなクジラのように自由に飛び 静かな幸福の海を 滑るように進みました 天国を 私は天国を見つけたのです この大きくなった自分を 再び小さな体の中に 押し込めるのは無理だろうなと思ったのを覚えています

15:26
しかし私は“でもまだ私は生きてる!”と思いました “そして天国を見つけた 私が天国を見つけて―” “まだ生きていられるのであれば 生きている皆も―” “天国を見つけることができるんだ”と気付きました 世界が 美しく平安で思いやりに満ちた 愛する人々で満たされ みんないつでも この場所に来られると知っているのを 思い描きました 意図して左脳から右脳へと歩み寄り この平安を見出すことができるのだと この体験がどれほど大きな賜物となるか 生きている人たちに どれほど強い洞察を与え得るか そのことに気付き それが回復への力になりました

16:22
大出血から2週間半後 手術で 私の言語中枢を圧迫していた ゴルフボール大の血栓が取り除かれました 私と母です 母は 私の天使です 完全に回復するまで8年かかりました

16:41
さて 私たちは一体何者なんでしょう? 私たちは 器用に動く手と 2つの認識的な心を備えた 宇宙の生命力です そして私たちは この世界の中で どんな人間でいたいのか どのようにありたいのか すべての瞬間瞬間において 選ぶ力があります 今 ここで この瞬間 私は 右脳の意識へと寄る事が出来ます そこでは 私は宇宙の生命力です 私を作り上げる 50兆もの 美しい分子が一体となった 生命力の塊です あるいは 左脳の意識へと寄って 1人の堅実な個人としてあることを選べます 大きな流れや 他の人とは 別個の存在です 私はジル ボルト テイラー博士 理知的な神経解剖学者です この2者が 私の中にある“私たち”なのです 皆さんが選ぶのはどちらでしょう? どちらを いつ選びますか? 私たちがより多くの時間を 右脳にある 深い内的平安の回路で生きることを選択すれば 世界には もっと平和が広がり 私たちの地球も もっと平和な場所になると信じています

18:07
そしてこれは 広める価値のある考えだと思ったのです


なお下記のものはあるところで紹介されていました。

ジル・ボルト・テイラー博士との対談記事が、日経ビジネスオンラインにありました。
全文を読むには登録(無料)が必要ですが、なかなか興味深いので、よろしければどうぞ。


第1回 ジル・ボルト・テイラー×竹内 薫
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090427/193235/

第2回 ジル・ボルト・テイラー×養老孟司
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090508/194087/

第3回 ジル・ボルト・テイラー×日経ビジネス オンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090512/194400/

ヒュギエイアです。

ここのところ、流れがスムーズになってきてます。
といっても、ものすごく大げさなものではないのですが、知りたい情報が偶然に記事などで知ることができることだったり、どうしているかなと思った友達から連絡があったり、自転車で移動中に、信号機がいいタイミングで青になって止まらずに行けたりといったものです。

これらを、な~んだ、そんな程度なら、どうってことないと思うのも簡単ですが、実際にこれらが続くと、いい調子で気分が上がります。これも気分と右脳の関係かもしれないと思います。

さあ、旅行に行くので右脳によってますますいい流れが起こりそうで、楽しみです。

サムハラ文字

写真)サムハラの神代文字

神代文字ですが、この文字を印刷して持ち歩くだけでも効果があるといわれています。
よかったら試されてみて下さい。

フリー写真 仲良しな猫とうさぎ

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