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最近、肌寒くなったので、道行く女性が胸のあたりをあけたファッションをすることをしなくなりました。
冬になると首にマフラーをしたり、コートを着たりします。胸のふくらみもわからなくなります。
 今回は心に青雲さんのブログからです。

芸妓たち

女たちよ、乳房を大きくするなかれ

2010年10月30日 | 医療問題

 たまには堅苦しい話を置いて、艶のある話題も提供してみよう。
 最近、山手線の電車に乗った際に、車内にとても若くて美人の女の子が珍しく和服で立っていた。たぶん踊りの発表会とか茶会とかに出かけるためではないかと思われた。

 その美人さんの和服姿は美しいものであったが、わずかながら違和感を感じた。
 それは何かというと、胸のふくらみがたっぷりあるのだ。
 結構なことじゃないかと言われるかもしれないが、華やかな和服で乳房のボリュームを隠さず堂々とというかゆったり着こなしているのは、いけないとは言わないがやや異質なものを感じた。

 女性は和服の着方が決まっているわけでもあるまいが、一般的にはよそ行きの着付けのときは、乳房はセーターを着たときみたいに膨らませない。帯の位置を高くして、胸のボリュームを隠すのが一般的であろう。だから女性に聞いてみないとわからないのだが、振り袖なんかを着たら結構胸が圧迫されて、走ったりなんぞは出来かねるのではないかと想像している。

 普段着で、家事をやったり赤子に乳を与える女性の場合の着物は、帯をウエストあたりで締め、その上に堂々乳房を乗せて労働しても息が苦しくないような着付けをしている、のではないでしょうか?

 以前、本ブログで「元禄、好色ばなし」(07.4.26)を書いて、どうして女性は(正装の場合)胸のふくらみをあえて隠し、帯で締め付けるような不自然な着付けをしているのか、その由来を書いてみた。
 再度したためてみれば、ことの発端は江戸は元禄時代の幕閣であった柳沢吉保のアタマにあった。

 詳しくは
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/7a9b4efdb04c5b4afa2b59035f52feb6
をご覧ください。

 柳沢吉保は5代将軍、綱吉の側用人(のち大老格)であった。彼が武家の妻や娘に着物を着るさいは、胸のふくらみを強調してはならぬと通達した結果である。
 余計なことをしたものだが、それなりに政治的意図はあった。

 柳沢は綱吉とのホモ関係を利用して、大出世を果たした男である。簡単に言えば、各地の藩主に女体に近づくことを禁じれば、跡継ぎができにくくなり、そうなった藩はお取り潰しになる。潰されれば代わって自分たち柳沢家が領主になれる可能性が高くなるからであった。

 「接しても漏らさず」が長生きの秘訣だ、などという俗説をみなさんも聞いたことがあるだろうが、その出所は柳沢吉保であった。

 この話は八切止夫の『大江戸意外史』にある。柳沢吉保は、『ねやにて慎みのこと』として、「一ツ、よがり声をあげてはならぬ。二ツ、もう少しなどと延引は不可。三ツ、恥じらいを旨として受け身のこと。四ツ、感ずるのは、はしたなき業(さが)なり」と“通達”を出した。
 こんなことにまで介入した。女性に、あのことは恥ずかしいことだという観念は、こうやって植え付けられた。

 この施政方針の一環として、乳房が盛り上がって見えることにないよう和服はきっちり胸をしめつけて、男の欲情を刺激しないようにせよ、となったのである。
 現在も、女性の和服は柳沢の通達にしたがって、胸を小さく見せる仕様となっている。  
 しかし、そのおかげで日本女性の色気が磨かれたのではないか、と「元禄、好色ばなし」でしたためておいた。

 さて、そうした歴史的背景はともかく、冒頭の乳房を見せつけるような和服を着たお嬢さんに戻そう。
 まあ体格というか、乳房の大きさや形は千差万別らしいけれど、総じて日本人女性の乳房が大きくなったのは確からしい。男性なら、そりゃ結構なことと喜んでしまいたいが、ことはそう単純なものではない。
 ここからにわかに堅苦しい話になる。

 近年、女性の発育がよくなり、背丈も伸び、初潮も早まり、おっぱいも巨大化しつつあるのは、戦前のような栄養的に貧しかった時代から一転、うまいものがたらくふ食べられるようになったからだと、喜んでいる……場合か、しからざるか。

 女の子の初潮が早まるようになった理由、おっぱいも大きくなってきた理由の一端は、マスゴミが性的刺激を与えるような情報を流し、小学生のうちから性に目覚めさせるという認識面の理由があるが、それは今回は置いておく。

 問題は「成長ホルモン」なのだ。
 ここで言う「成長ホルモン」とは、食用家畜に残留した成長ホルモン剤のことである。牛乳にも成長ホルモンの残留の危険はある。
 食品に残留した成長ホルモン剤を人間が摂取することで、人間にも影響が及んで、たとえば女性の乳房が大きくなってしまうのである。

 「巨乳」という嫌な言葉が、いつのころからか流行して、そういうタレントがちやほやされるようになった。「巨乳」といえば、男どもが鼻の下を伸ばすから、女性も喜んで乳房の大きさを競うようになり、「寄せて上げるブラ」なんてものも開発された。
 たしかに見た目はいい。だが、それが恐ろしい家畜用の成長ホルモンのせいだとしたら、これまたユダヤ資本の思うつぼではなかろうか?

 すなわち、女性の乳房が大きければ大きいほどすばらしいとする考え方が、成長ホルモンの恐怖を隠してしまう。家畜用の成長ホルモンが、人間にも効果があるというなら、もっと肉や牛乳をたくさん食べて、Aカップの人はBに、Cカップの女性はDになれば、女性の悩みが解消できるじゃん! と言い出しそうである。

 ことの発端は、1970年代にプエルトリコで3歳の少女が、胸が膨らみ、陰毛がはえる、初潮も始まるという異常な事態になって、地元では大騒ぎになったことである。以後、アメリカでも事例は多く発表されている。アメリカでは、3歳の1%、8歳の14パーセントに肉体的成熟の超早期の兆候が見られると言われる。

 おっぱいが大きくなるのは良いようだが、成長ホルモンの恐ろしいことは寿命を縮めてしまうことである。成長が早い分だけ、死ぬのも早まる。
 小規模の家畜飼育をしている農家などはともかく、現今の多くの畜産家は工業的畜産に占められている。鶏からブタ、牛、それに養殖魚。効率とコスト、およびなんとかウイルス病なんかにかからないように、早く出荷してしまいたいのである。

 とにかく飼育速度を上げることが、彼ら畜産会社や食肉加工メーカーなど、(世界的にはユダヤ商人の)至上命題である。
 仮に昔は普通のエサを食べ、牧草地に放し飼いをしていたら出荷まで3年かかっていたものが、わずか1年で出荷できるとなれば、効率よく利益をあげることができる。その極めつけの技が成長ホルモンの家畜への投与であった。

 今のところ、成長ホルモンが許可されたのはアメリカとイギリスである。
 これでわかるように、狂牛病が発症した大本がイギリスとアメリカであった。狂牛病の原因が成長ホルモンのせいではないかと疑われている。 
 乳牛などは、なんでこんなに乳房だけがアンバランスに巨大なんだ? と思うほど、まさに巨乳になった。牛乳を多量に出す良質の牛を交配させて行って、遺伝的に創ったとも言える部分はあろうが、主としてあれば成長ホルモンのなせる技らしい。

 「1930年当時の乳牛の1日あたりの平均乳量は約5キロであったというが、それが88年には交配や飼料の変化などにより18キロにまでなっていたが、さらに成長ホルモンの投与によって22キロにまでなった。しかも、成長ホルモン投与された牛は、絶え間なく妊娠、泌乳を繰り返すから、非常に効率がいい。

 だがその反面、老化が異常に早く進み、通常20年から25年の寿命が5年以下になる。このおそるべき副作用もわかったいたが、それでも、牛への成長ホルモンの投与は続けられた。」(船瀬俊介著『食民地 アメリカに餌づけされたニッポン』 ゴマブックス(株))


 今年、宮崎県で牛の口蹄疫が騒がれ、あの知事が大変な被害を受けたなどと憤ってみせたが、彼も、そして宮崎県の畜産家たちも、決して成長ホルモン剤や病気予防のために、牛に危険な薬剤投与をしているかについては口を閉ざしていた。
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 江戸時代(幕末)の女の写真を見ると、みんなそう乳房は大きくない。当時は肉食は禁じられていた。だからといって色香がないわけじゃない。頑強でよく働いた。
 ベルツの実験では、19世紀の江戸時代に、東京から日光まで人力車で1日で走り通す車夫に、肉類中心の食事を摂らせ、毎日40キロ走らせたら、3日目で疲労のあまり走れなくなったという。肉がスタミナ食だというのはウソなのだ。
 悪いことは言わない。肉食は止めよう。


ヒュギエイアです。
ナチュラル・ハイジーンでも危険性を言っている牛乳とお肉には成長ホルモンが残っている可能性もあるのですね。だから胸が大きくなるのかということにある種おぞましさを感じます。知らないでいるということは恐ろしいですね。

今回もお読み下さりありがとうございます。
健康であることに感謝してあなたの健康を祈ります。
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